母が、この元旦に、他界しました。
今日までに、すべて、葬儀や火葬も無事終えることができました。
母は、とても活発で、きれいで、多趣味で、いつも輝いている人でした。
いつもどんなときでも私の味方でいてくれて、母に支えられて、今の私がいます。
いつも今でも、病気になっても、いつも私に一番厳しい言葉をくれて、叱ってくれるのも母でした。
本当に、大切な人でした。
急性リンパ性白血病を5年10か月前に患い、化学療法で寛解したあと、一度は元気にしていましたが、その後再発し、骨髄移植をし、GVHDや免疫力低下の感染から、目が見えなくなり、体が動かなくなりました。
それでも、父が自宅にて、とても愛に満ちた介護をしていました。
ほぼ寝たきりで、目も見えないけれど、頭と口はとっても達者で。(笑)
この何年か、週に1回、子供たちを連れて毎週父と母に会いに、実家で食事をしに行っていましたが、体調に波はあるものの、達者におしゃべりをしていました。
たびたびは、栄養不良や体調が悪く、入退院を繰り返していましたが、最近はとっても調子よく、最後の退院後から200日最高記録を達成したところでした。
12月23日に調子が悪くなり、母校の滋賀医大に入院し、全身状態がどんどん悪くなりました。
危篤状態に陥り、ICUにいながらも、年末の私の連勤が終わるのを待っていてくれたかのように小康状態を保ちましたが、最後の診療の日12月30日の夕方、病院から呼ばれました。
ちょうど最後の18時30分の患者様のキャンセルが入り、すぐにかけつけることができました。
12月31日は、丸一日、ママと一緒にいることができました。
そのまま1月1日の除夜の鐘を一緒に聞き、しばらくして1時19分、息を引き取りました。
白血病という病気そのものが悪くなったわけではなく、感染症によって悪くなったので、それが悔しいです。
できる限りのことを、先生方にはしていただきました。本当に感謝しています。
医師である娘として、自分が母のためにしてきた選択はただしかったのか、母はつらくなかったか、もっと楽に逝かせてあげればよかったか、など、いろいろな思いがまだまだいっぱいです。
まるで私の仕事の都合も考えてくれたかのように、最後の時も、納棺も、葬儀も火葬も、すべてが休みの間にできて、患者様にご迷惑をおかけすることなく、母との時間をゆっくりともつことができました。
父は、母のことが大好きで、とってもラブラブな二人だったので、母がいなくなることで父がしおれてしまわないか、とても不安ですが、これからも毎週実家に帰り、孫の顔を見せ、父を励ましたいと思います。
父も母も、私の仕事をとても誇りに思ってくれていますし、母は移転もとても喜んでくれていましたので、移転に関するすべての予定は、このまま進めていきたいと思います。
母のことを心配してくださっていたまわりの方々もいらっしゃるので、ご報告させていただきました。
いつまでもこれからも、母の自慢の娘でいられるように。私は私で頑張っていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
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